中国の驚異的な経済発展と独自の経済政策について
中国は共産主義国家であり、共産主義経済が基本であるにも関わらず、独自の経済政策によって、驚異的な経済発展をとげました。その中国の経済政策の歴史と現在の状況等につきまして、以下、順次説明したいと思います。
その前に中国の近代史について、復習の意味で説明します。
19世紀初頭の中国はイギリスの支配下にあり、イギリスはアヘンを売って儲けていました。これに対して抵抗した清国はアヘン戦争にて対戦しましたが、敗戦し南京条約で香港はイギリスへ明け渡され半植民地化されました。
さらに天津条約、日清戦争等をへて列強の植民地となりました。
その後、20世紀の初頭に辛亥革命を経て中華民国が誕生しました。
やがてロシア革命が起こり、中国はロシアと歩調を合わせて、1920年に中国共産党が誕生し、満州事変で一時日本が制圧しましたが、第二次大戦終了とともに、列強から独立し、当初は蒋介石の率いる、国民党の支配下にありました。
しかし、次第に共産党の勢力が増大し、毛沢東の率いる「中国共産党」の支配による国へと以降しました。当初は中国も共産主義経済を標榜していましたが、必ずしも経済面では国民の生活は豊かにはなりませんでした。その毛沢東路線から開放主義の経済政策へと変遷していきました。この開放政策を推進したのが現実派の鄧小平です。
彼は「四つの近代化」を掲げまして、市場経済体制へと以降させていきました。具体的には、農村部では人民公社が解体されまして、経営の自主権を保障し、農民の意欲向上を目指した「生産責任制」が導入され、結果として農民達の生産意欲が向上しました。
また、都市部におきましては、外国資本の積極的な導入を目的として福建省のアモイなどに「経済特区」を、そして上海、天津等には「経済技術開発区」が設けられました。
こうして華僑や欧米の資金を投入し、経済面での市場開放政策の礎ができまして、その後着々と外国資本による経済改革が進められ、資本や技術の移転が進み、企業の経営自主権も認められました。
この政策も貧富の差や政治家の賄賂などの矛盾を引き起こし、1989年の「天安門事件」で一時中断はしました。
その後、「社会主義市場経済」という、新たな開放政策が1992年以降推進されまして、江沢民、胡錦涛政権により継承されました。
この、社会主義市場経済により、中国のGDPも5%前後という高い成長率を続けました。中国では、北京オリンピック、上海万博といった大きなプロジェクトも成功させました。戦後の日本が、東京オリンピック、大阪万博等を経て発展していったこととダブリますね。
現代では、ついに日本を抜いて、GDP世界二位という地位まで登りつめました。アメリカも今までは、日本のほうを向いていましたが、最近は中国のほうに重点を置いている感さえします。
また、国際的な発言力も経済成長とともに大きくなってきました。急激な成長はどこかで、ひずみが生じます。中国とて同じです。経済特区と内陸部農村社会間の、貧富の差の増大といった問題は抱えてはいますが、経済大国として、その地位を固めたことには間違いないことでしょう。